俗に陶器は「土もの」、磁器は「石もの」と言われます。陶器の器体は概ね淡黄色〜黒褐色をしており、多孔質で吸水性を有し磁器に比べて軟らかい。磁器の器体は白い半透光性のガラス質で吸水性がなく、陶器に比べて硬いことが特徴です。
土器は、700〜900℃の低火度で焼かれ、陶器は1000〜1300℃の高火度で陶器が焼かれます。陶器のうち比較的高火度の1200〜1300℃で焼き締めて気孔性をほとんど有しないものはb器といい、備前焼や万古焼などがこれに当たります。磁器はカオリン(長石の風化物)土を精製したものを素地として1300〜1400℃の高火度で焼成します。
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胎 土 |
窯・焼成温度 |
特 徴 |
叩いた音 |
産 地 |
土 器 |
有色粘土 |
野焼・700〜900度 |
有色で吸水性あり |
鈍い音 |
縄文・弥生 |
b 器 |
有色粘土 |
穴窯・1200〜1300度 |
有色で吸水性なし |
堅い音 |
須恵・備前 |
陶 器 |
有色粘土 |
穴窯又は登窯
1000〜1300度 |
有色で吸水性あり |
濁った音 |
瀬戸本業
信楽・萩 |
磁 器 |
青磁白磁染付 |
白色粘土
+長石
+珪石 |
登窯1300〜1400度 |
素地白く、透光性ありガラス質で堅い
青磁は還元炎焼成
染付は釉下に藍絵 |
澄んだ金属音 |
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磁器は、厳密には11世紀の北宋で最初に作られましたが、白い陶土で作られた半磁器は紀元前後から中国に存在していたようであり、後に浙江省越州窯や龍泉窯などで焼かれていました。これらは比較的早く高麗に伝播し高麗青磁となりましたが、わが国へは秀吉の朝鮮出兵の際に陶工を連れ帰って、肥前有田で始められたとするのが定説です。
国内の磁器生産はカオリンの産地が限られているため、現代では、カオリンの多くを韓国などから輸入しているようです。
下表は、韓国産と瀬戸産のカオリン土の組成比較です。
原料土 |
粘土物質 |
石英 |
長石 |
不純物他 |
朝鮮河東カオリン |
94.00 |
― |
5.00 |
1.00 |
瀬戸本山木節粘土 |
89.19 |
6.49 |
4.32 |
― |
(1)青磁・黄磁・白磁
青磁と黄磁は長石釉の中に微量(1〜2%)の鉄分を含み、青磁はそれを十分に還元炎焼成したもので、黄磁は還元炎焼成が不完全なものです。青磁の発色の濃淡や透明感は釉薬の精製度、鉄分の含有量と釉の厚さ、釉薬中の珪酸などの酸性成分とカルシウム等の塩基性成分のバランス、焼成法による酸化第二鉄(淡黄色)から酸化第一鉄への還元具合などによって決まります。
青磁は、青銅器を象って、権力者が富と権力の象徴として求めた「玉」の翡翠色をやきもので再現しようと試みたものです。鑑賞ポイントは切れ味鋭い轆轤技による厳しい姿と雨上がりの空のごとく一点の曇りもない清楚な釉です。
白磁の鑑賞ポイントは、下手であっても卵の殻のようなぬくもりのある美しさか、研ぎ澄まされて高貴かつ完璧な姿と透徹した白さかにあります。
《還元焔・酸化焔》
窯場では、還元焔焼成はセメ焚き又はオイ焚き、酸化焔焼成はネラシ焚き又はキラシ焚きといいます。
セメ焚きは、窯の温度が900〜950度に上がるまで始めは酸化状態で焼き、窯内の水分を逃してから器物中の炭素を十分に燃焼させ窯内温度を均一化した後、間断なく燃料を投入して急速に火度を上げて還元焔とするもので、窯に余分な空気の入る隙がなく、釉薬の溶解時に還元作用を受けるものです
ネラシ焚きは始めから終わりまで完全燃焼の焔で焼くものであり、ドンと焚いてはちょっと休み、炎が落ち着いてから次の燃料を入れて徐々に火度を上げる焚き方で、薪を完全燃焼させるだけの空気があって酸化作用を受けます。
鉄は還元すれば青みをおび、酸化すれば赤くなります。青磁をはじめ、やきものの青・赤は他の酸化金属や顔料によるもの以外は、ほとんどが鉄の酸化・還元作用によるものです。
呈 色 剤 |
還 元 焔 |
酸 化 焔 |
鉄 |
青→赤褐色・黒 |
黄→赤褐色・黒 |
銅 |
赤・赤紫・黒 |
青・緑→黒 |
クローム |
緑 |
やや黄味がかった緑 |
コバルト |
青藍色 |
ややにぶい青 |
マンガン |
褐色・黒 |
黄・赤褐色 |
(2)染付(元・明・李朝・古伊万里)
染付とは、白磁の器体にまず藍一色の呉須で絵を描きその上から透明釉を薄掛けして焼いたもので、藍染を想起させるため染付と言われます。釉の内側に絵があり雑な取り扱いでも絵が剥がれないので、英語ではUnder glaze blue porcelainと言われます。日陰干ししただけで器体に藍絵付し、直に釉薬をかけて焼成する「生掛け」のものと、一旦低火度で素焼きした後に絵付けして、釉薬を掛けて本焼きしたものがあります。前者は絵がややにじんだ仕上がりとなり、後者はくっきりと鮮やかで透明度の高く高級感ある仕上がりとなります。
透明釉は単に長石のみでなく、下絵の呉須顔料を青く発色させるために植物灰を混入させる必要があります。景徳鎮ではシダの葉を用い、有田ではシダに代えて柞(なら・くぬぎ)の木を使用しており、釉の精製度の低さもあって柔和で枯れた味わいの仕上がりとなります。
染付は中国では青花といい、代表的な優品は元の魚草紋壺や明の官窯作の龍文皿や鉢です。明末期の古染付は民窯作でそれに比べて完成度が劣りますが、日本の数寄者の美意識を揺さぶり、今も多くの作品が残っています。
李朝の官窯で造られたものは分院手と言われ、民窯のおどけた虎などの鉄絵に比べて、胎土は白く絵は精緻で完成度の高い作品となっています。
染付と同種の技法をもって、素地の全面に呉須をかけた青一色ものを瑠璃、呉須の代わりに酸化銅の紅を用いて絵を描いたものを釉裏紅、瑠璃の青一色に対して紅一色のものを辰砂と言います。釉裏紅・辰砂ともに還元炎焼成です。
(3)色絵(柿右衛門・鍋島・古九谷)
わが国では17世紀前半に酒井田柿右衛門(1596〜1666)が初めて色絵磁器を焼きました。にごし手といわれる乳白色の器体に、大和絵的な花鳥図を赤を主体とした顔料をもって、余白を多く優雅に描いたものが柿右衛門様式の特徴です。
柿右衛門様式の絵は暖色系で余白を大切にしているのに対して、古九谷様式は濃い緑や青と黄色を交えた寒色系の色調を主体として用い、余白を残さず大胆な図柄でびっしりと描き込むのが一つの特徴です。代表的な青手九谷と言われるものと同様の色絵陶片が有田の窯趾で発見されたため、古九谷の大半は九州有田で製造されていたと定説化しています。
鍋島は、皿類が多く、先に染付けで線描きしてから上絵付けするやり方で、作りが丁寧で高い高台に櫛葉文様をあしらっていることが特徴です。
再興九谷とは、文化4年(1807)に京都から青木木米(1767〜1833)を招聘し、金沢の春日山に開窯したのを機に加賀各地に窯が立つようになったもので、春日山窯、若杉窯、吉田屋窯、宮本窯などがあります。それらの窯はその後一旦衰微しかかるも、慶応3年(1867)京都から永楽和全(1823〜1896)を招いて改善が図られ、活気を取り戻すようになったのです。 |