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日本人の美意識とわび茶

(1)日本人の感性と美意識
古典文学にみる「あはれ」とは、心に深くしみる情趣や感動を表わす語で、『古今和歌集』や『源氏物語』の基調的感性であって、『方丈記』や『平家物語』の代表的感性である「無常」とともに、わが国の古典文学を貫くテーマです。
日本人は、自然を受容・畏敬し、和歌や文学を通じて独特の感性や美意識を培ってきました。古くは「照りもせず曇りも果てぬ春の夜の 朧月夜に如くものぞなき」大江千里(生没年未詳)、「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕ふ暮れ」藤原定家(1162〜1241)と和歌に詠まれ、吉田兼好(1283〜1350)は「花はさかりに、月は隈なきをのみ、見るものかは」と『徒然草』に記しました。
室町時代に禅文化の影響を受けて能・連歌・造園・茶などの芸能文化が発達し、満ちていないものや滅び行くものに対する日本人の感性を基礎として、不完全なる美は次第に芸術理論にまで高められてきました。
能の大成者世阿弥(1363?〜1443?)は、『風姿花伝』の芸の真髄に関する問答で「花が能の命なる」と述べた後、「萎れたると申すこと花よりもなほ上の事・・花の萎れたらんこそ面白けれ」と述べ、世阿弥の女婿金春禅竹(1405〜1471)は、西行が旅で出遭った姥尉が、月を賞でるため軒を葺かず、雨音を聴くため軒を葺くことを互いに主張し合う、くすんだ美意識を能「雨月」にまとめました。
村田珠光(1423〜1502)は、禅竹の孫禅鳳と交流があり、その雑談を集めた『禅鳳雑談』に、「月も雲間のなきは嫌にて候。これ面白く候」と記しています。貴族・僧侶たちによって醸成されてきた不完全美を愛でる感性は、兼好や世阿弥などを経て次第に深められ意識的に取り上げられて、桃山時代にはカブク風潮と相まって、究竟の不完全美といえる織部茶陶などへと結晶して行きます。

(2)不完全美とわび茶
わび」は、「気落ちする、つらいと思う」などの「立派な状態に対する劣った状態」を、「さび」は、ものが時とともに次第に枯淡の色合いを深める様を表します。金属の劣化状態を表すには漢字の「錆」が、人がいなくなって静かな状態を表すには漢字の「寂」が当てられるようになりました。また、「わび」とは精神的な 「さび」を表すとも一般に解されています。
本来は、「わび」「さび」ともに否定的感情や状態を表すものでしたが、室町時代には和歌文学の伝統に加えて禅文化の影響も受けて、積極的に評価され美意識の中に取り込まれて来たようです。
村田珠光(1423〜1502)の出現する前は、天目茶碗や龍泉窯青磁等の唐物名物を中心とした真の道具立てが主流でした。わび茶の祖珠光は、唐物に比べて完成度が劣る和物を許容した上で、不完全美としてとらえて、和漢の茶道具を上手く取り交ぜて用い、しっとり落ちついた茶の湯の境地をひらきました。曰く「和漢のさかいをまぎらかす事、肝要々々、用心あるへき事也」
珠光を師と仰ぐ武野紹鴎(1502〜1555)は、「市中の山居」を求め、書院から草庵に近づけた四畳半の茶の湯座敷や、「坪ノ内」という初期の露地を造って「草庵の茶」を方向付けました。『山上宗二記』によれば、紹鴎が目指した茶の湯の境地は「連歌の仕様は枯れかしけ寒かれという。茶の湯の果てはかくの如くありたき」と連歌師心敬(1406〜1475)の言葉を引いて説いたとされています。
『宗二記』では他に、「客人振りのこと一座の建立にあり」と説き、志野宗信の戒めたのと同じく「我仏、隣宝、婿舅、天下軍人善悪」を口にすべきでないとしています。
千利休(1522〜1591)は、「わび」・「さび」を自然で閑寂な趣を愛する最高理念として茶の世界に導入し、藤原家隆(1158〜1237)の「花をのみ待つらん人に山里の 雪間の草の春を見せばや」(壬二集)の歌を引いてその境を説いたとされます。富裕な商人であった利休は、経済的な余裕を裏づけに仮の「不自由」を設定し、慎ましく厳しい求道者的境地を求め、精神の悦びを見出そうとしたと考えます。
真に貧しく不自由なのは「わび」ではなく、満たされた者が一歩退き、それを昇華してより高次の境地に達して得られる世界が「わび」であると言えます。
利休には、姿の整い過ぎた花生の耳をわざと欠かして、侘び道具に仕立てた話や、息子道安(1546〜1607)に庭掃除を命じて掃き清めさせた後、庭木を揺すって葉を散らしたエピソードなどが伝わります。
「わび茶」の言葉ができるのは千家3代宗旦(1578〜1658)の頃とされますが、明確ではありません。「わび茶」について述べた『南方録』は、南坊宗啓が利休から直接聞書したものではなく、利休没後約100年の江戸中期に、茶の湯が利休回帰を目指す中で、立花実山が博多や堺で収録した資料を基に脚色したものとする偽書説が有力であり、特に「墨引」「滅後」の部の記述は要注意です。

《日本文化に見る不完全美の例》
・庭園 西洋庭園は樹木等が整然と配置されシンメトリーが基本。日本庭園は樹木、灯篭、景石等を不等辺三角形に配置して変化に富む。
・食器 洋食器では、統一デザインの一式を用います。和食器では、季節に
応じて料理に最も相応しい陶器・磁器・漆器・ガラス器を混用します。

 

 

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