骨董・古美術を楽しむ
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東洋(日本以外)のやきもの

  1. 中国のやきもの

中国は、古代からやきもの先進国であり、木灰を長石に溶かした灰釉のやきものは殷代に始まり、漢代には緑釉の低火度陶が大いに焼かれました。やがて原料に恵まれた浙江省越州窯で優れた灰釉陶が生まれ、古越磁とよばれる初期の青磁に発展しました。この青磁技法は南北に伝播して、断続的な発展を見せ、北斉(隋代前)代に河南省に始まった北方青磁は、胎土の白さを利して白磁に転換し、隋・唐・宋代にかけて発展しました。江西省景徳鎮に伝播した技術は北宋の景徳年間(1004〜1007)にやや青みの勝った青白磁を生んだほか、河南省では北宋代末の11世紀後半に半磁胎に青磁釉を施して細かい貫入が現れ、特有の明るい釉調の汝官窯青磁を生みました。また、浙江省越州窯から南下した技術は同省龍泉窯で官窯の優れた青磁を生みました。
一方、唐代末には河北省磁州窯で胎土に白化粧をかけ透明釉でおおった白陶が作られ、白胎透釉明のやきものを基礎として各種技法のやきものに発展し、黒泥の白地掻落しなどが生まれました。金・元代には白地に赤の上絵付けしたものも作られています。
景徳鎮青白磁は、元代初に龍泉窯の青磁に押されて陰りを見せるものの、元末に青花といわれる完成度の高い染付によって隆盛を極め、明代末に衰退した後、清代には絵画に劣らない精緻な色絵技法を開発して今日も盛んです。
《青磁》
中国最大の青磁窯は浙江省龍泉窯で200余基の窯跡が発見されています。北宋代には透明で淡い緑灰色の青磁釉を開発し、南宋代になると砧青磁といわれる高貴な雰囲気を漂わす極上品を生み最盛期を迎えました。その後、元代にかけては大量生産のため質が低下して、釉が黄緑色がかって天龍寺青磁といわれるものになり、明代中期以降はガラス分が多く光沢の強い釉で貫入もあって青磁としては上作でなくなりましたが、これを七官青磁とよんでいます。
《天目》
鎌倉時代に中国の天目山から禅僧が持ち帰った常什の碗を、天目と呼んだことが語源とされ、天目茶碗は鉄質黒釉で、それを天目釉といいます。天目茶碗は茶の湯では最も格が高いものとして、天目台に乗せて使います。
天目釉は酸化鉄を15%ほど含み、その釉調によってべっ甲模様の玳皮、麦の針状の穂先に似る禾目、兎の細毛に似た微細な筋模様のある兎毫、油の滴ったような油滴などに細分されます。福建省建窯で曜変、油滴、禾目、兎毫、灰被が作られ、江西省吉州窯で玳皮、木葉の類が作られました。
建盞天目とは建窯製の天目の杯を意味する語で、建盞天目は素地堅く、高台は小さく低く、口縁はスッポン口状にひねり返されて、天目型といわれる特有の形です。
曜変天目は、世界中でわが国に3碗のみ現存するもので、最も美しいとされているのは静嘉堂文庫にある国宝稲葉天目です。
《青花赤絵》
景徳鎮の青花は元代から明代にかけて最盛期を迎え、特に宣徳年間(1426〜1435)の作は最も精緻で極度にまで精選されて、龍文の皿や鉢は誉れ高い名品です。万暦年間(1573〜1619)には良質の呉須顔料が欠乏し始めて紫色を含んだ濃青色になり、筆法もやや頽廃美を感じさせますが、赤絵技法を加えて絢爛な万暦赤絵を生みました。明末の天啓年間(1621〜1627)からはさらに青色が深く黒味を帯びた呉須に変りましたが、雅味ある天啓赤絵などを生みました。
古染付とは、天啓・崇禎の頃に景徳鎮民窯で作られた染付磁器で、胎土と釉薬の焼成時収縮率の違いから器の角に虫食いと呼ぶ釉の剥離が見られることが特徴です。
祥瑞は、精白緻密な素地に精選された呉須で絵を密に描き込んだもので、当時の景徳鎮民窯の最高作に上げられる茶器類を、崇禎年間(1628〜1644)頃に日本の茶人からの注文で作りました。祥瑞の高台の畳付には、砂のような斑点(ゴマ土)付きのものを多く見ることが特徴です。
呉須赤絵とは、明末清初に福建省石?窯で作られた赤絵磁器で、染付又は白磁素地に濃い赤を主調に緑や青で奔放な上絵付を施したものです。景徳鎮製に比べてやや下手で赤玉香合、玉取獅子鉢などの茶器があります。
(2)朝鮮のやきもの
朝鮮半島では、古代より中国の影響を強く受けて、早くからやきもの文化が発展し、唐末には浙江省越州の青磁が伝わり高麗青磁とよばれるものが作られ始め、続いて三島、白磁、染付等の優れたものが作られてきました。それらは桃山時代以降には井戸・斗々屋・伊羅保などの高麗茶碗として茶人に珍重され、近代では柳宗悦によって李朝民窯の美が再発見されてきました。
《高麗青磁》
   高麗青磁の象嵌技法は、12世紀中頃に半島南部で完成したようですが、14世紀末頃には白磁に代わります。雲鶴紋瓶子や狂言袴茶碗などが代表作です。
高麗青磁の発色は、透明感のある翡翠色ではなく、やや控えめで茶色味を帯びていますが、深みがあるのが特徴です。
《三島》
  三島は、高麗末期に象嵌青磁の技法を基礎に生まれました。
鉄分が多い素地の欠点を補うため、生乾きの陶胎に線彫りして白い化粧土を埋めた後拭い去って白象嵌をつくり、これに釉掛けして焼く技法です。
白泥土を器体全面にかけたものを粉引(粉吹)、少量の白泥土を勢いよく刷毛塗りしたものが刷毛目です。産地は、半島南部の広範に及びますが、忠清南道の鶏竜山が代表的で、別名を鶏竜山とも言って、水指・花入などの茶道具として取り立てられています。三島、粉引、刷毛目は総称して粉青沙器とも言いい、白泥土を化粧掛けした灰青色のやきものを意味しています。
 《白磁・染付》
李朝の代表的やきものが白磁であり、初期は灰味がかった白、後には卵の殻のような自然な白、時代が下がると純白かやや青みを帯びたものになります。
中国青花に比べて呉須が浅い青色で、暖かみと柔らかみがあります。李朝染付は白磁に比べて生産量が少なく、中国から渡来する呉須は上等品であって、身分の高いものだけが使用を許されていたようです。
堅手とは、白磁系のやきものですが焼成火度が若干低い半磁器で、手ざわりが堅そうなところからの呼称です。胎土がやや鼠色を帯びて器体も釉も厚めでカイラギ様の高台を呈し、井戸に近いものが上品の茶碗とされます。
(3)東南アジアのやきもの
ベトナム製で呉須のにじんだ染付けを安南と言い、やや低火度焼成の半磁器が多く、景徳鎮や伊万里に比べて完成度劣るも、返って侘びた味を感じます。
タイのスワンカローク窯で焼かれたものをスンコロク(宋胡録)といって、鉄砂で細かい唐草文などを描いて白濁した灰釉を掛けた小型の蓋物が代表的です。

 

 

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